京都クオリア塾/クオリア京都

 


 

 


 

第九期 第8回京都クオリア塾  令和6年1月20日

 

    8回                  2024年1月20日(土)

        「不易流行~世界の食文化と“和食”」

                                           高橋 拓児(木乃婦3代目主人)


  日本料理に科学の視点を導入し“だし文化”や日本料理にあうワインの製造などに取り組んできた高橋さん、今年は日本におけるフランス料理唯一のレジェンドと評価する斎須政雄さんの著書「十皿の料理」を紐解きながらこう語ります。

 フランス料理ではワインを選んでソムリエと会話しながら料理をつくる、会話を通じて文化が生まれるのです。その料理は皿の上だけで評価されるが、日本料理の料理人は皿の上に加えて生け花や絵画、工芸などの色んな文化を取り込んで表現する。室町時代に障子やふすまの空間が整備されると、料理の器の大きさが決まった。八寸という料理も畳の二目盛=1寸から生まれたもので、料理の盛り方にも真行草が取り入れられ数値化された、と話されます。

 

 料理人は知識を欲する本能を持ち、自己創発の連続でもある。フランス語でいうマチエールで、クオリアとも表現できるのではないか、と。料理を芸術の世界に高めた北大路魯山人、茶懐石のフィルターを通して日本料理を完成させた湯木貞一、「料理秘伝」をはじめ数多くの書籍に取り組んだ辻嘉一らは、料理を手段とした自己表現者と言える。

 明治時代、夏目漱石らの文豪が料理に関する作品を発表しているように、文字は食べられないが“美味しい”。日本料理は日本語の文法と同じで、フランス語のように主語と述語ではなく、主語と食材との関係性を大切にする受動的な表現が日本料理であると言える。

 京都や日本料理を理解してもらい「味のある時代」をつくるために、私も小説を書き始めたという高橋さん、皿の上だけで評価するミシュランの「星」に疑問符を掲げながら総合芸術である日本料理の発展のために、日本料理は生活文化、と結びました。

 

生き方や宗教までも内包した日本料理、この後は木乃婦へ場所を変えてフランス料理と比較しながら美味しさを堪能しました。

 

 

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