企業の〝40歳“を中心とした前後10歳の方々を対象に、土曜日の朝、仕事以外の頭を使ってキャリアアップを図っていただきたいと、この4月から京都クオリア塾がスタートしました。初回とあって、当研究所の西村周三所長が「グッとくる瞬間を見つけてもらって、自らを磨く機会にして欲しい」と挨拶、そして京都企業に努める12人がこの塾への思いなどを語った後、京都大学人文科学研究所の岡田暁生教授とともに、クラシック音楽を通して近代を学びました。岡田教授は「『音楽の終わり方』から見える近代人の袋小路~チェンジ思想の代償について」をテーマにスピーチをされました。「終わり方=店じまい」は所謂人生の縮図であるが、時間芸術としての音楽にとっても、終わり方は最大の試金石であり、時代によって異なる。バッハは予定調和の終わり方をし、モーツアルトの時代は型通りの終わり方をするが、近代社会の誕生時に活躍したベートーベンの最後は、盛り上がって勝利で終わる。また、19世紀のシューベルトやマーラーは、人生は勝利で幕を閉じたりしないとして、終わりたくないという未練が作品になった。そして迎えた20世紀の初頭、例えばラヴェルは、何の意味もない唐突な終わりをしている。このように、近現代人の「終わりの恐怖」が神を殺し、「変わればよくなる」という思想にとりつかれてきた、と語り、私たちは今どのような終わり方が望ましいと考えているだろうか、と問いかけました。この後、西村所長をファシリテーターに、参加者が考える近代と現代、企業が明日なくなると分かったら、などについて意見交換を行いました。
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